8月4日 日曜日 晴 

昨夜の宴会の後、お泊まりしてくれたのは、ボッカ帰りのKさん。
彼女は、日頃鍛えているので疲れを知りません。
私の若い頃ならば、翌日うなって一日寝ていたことでしょう。
「今日は友達と水晶浜に浸かりに行きますけど、一緒にどうですか?」
と誘ってくれたので、お言葉に甘えることにしました。
水着をバックに詰めて、さあレッツゴーです。
10時には、真っ青な海と太陽の下に来ていました。

海水浴場は、駐車場と簡易更衣室(シャワーは水で100円を入れると数分だけ水が出る)があるだけです。
土産物屋も何もない白い砂浜があるだけでした。

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若者達は、帽子をかぶり、長袖の上着を着て、浮き輪を膨らませ始めました。
私は今まで海では、足の届く深さでしか泳いだことがありませんでした。
でも、この7年の水泳教室の成果はいかに?
波打ち際から海に入り、足が立たなくなった所から沖に向けて泳ぎ始めました。

何処までって・・・
遊泳禁止ブイで仕切られている限界までです。
途中まで泳いで結構距離感があるなあ~と一度引き返しました。
でも、そのあと2回、境界のブイまで泳いでみて楽勝でした。
海の水は確かに体を軽くしてくれます。
水中眼鏡で下を見れば、岩礁に海藻が絡まってユラユラと動いています。
プールでは味わえない心地よさがありますねえ~

下の写真の真ん中変のオレンジ色の浮遊物の少し手前に境界のブイが白い浮子に繋がれています。

そこまで泳ぐおちょうし者は、私一人のようでした。

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でも、70歳になって、初めて海でちゃんと泳げたのです。
こんなうれしいことはありませんでした。
小学校の時は、体育は最低の1ばかり、運動神経ゼロの私がここまで泳げるようになったのです。
まあ、ということは、水泳は運動神経とは関係ないとも言えるですしょう。

しかし、彼方に見える、あの円筒状の建物は何だろう?
うわ~、三方原発だったのです。
水晶浜から泳いで行けそうな近さでした。

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人気は無いのに、浜がこんなにきれいなのも、道が整備されているのも、これのせいだったのですね。
若き日々、30代の頃に、この原発には反原発ツアーに参加して、来たことがあったのでした。
原発の職員の社宅は近くにありません。
夕刻、退社時間になると、車が列をなして、山を越えた陸側にある社宅に帰っていくと、その時、話しを聞いた記憶があります。

それにしても、こんなきれいな海と原発が共存しなくてはいけないのか?
早く廃炉にして、静かできれいな海を後世に残して欲しいと願うのでした。

午後までいると、暑さでやられてしまいそうなので、昼前にに撤収することにしました。
昼食は、また我が家で食べようよということで、一目散に南下です。

途中でティータイムを取ろうと立ち寄った店、カフェとヨガの店、マハナターブルです。
私は、アサイージュースを頂きました。

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これで元気を復活させ、我が家に到着下のは14時頃でした。
二人のお嬢さん達が、焼きめしとフレンチトーストを素早く作ってくれて、昨日の宴会の残りのごちそうも引っ張りだし、遅い昼食にしました。
食後は、ゆっくりとおしゃべりをして、若者達の職場の苦労を教えてもらいました。
いつの時代でも、どんな職場でも、気の優しい人は、パワハラや同僚のいじめにさらされるのだと思ったのでした。
でも、それに負けない強さと優しさを、この子達は失わないと思います。
心底の優しさを持ってる人は強いのだよ。

若者と海で遊べた一日は、私への今年の夏からのプレゼントだったのでしょうか。

解散して、我が家のシャワーを浴びた時、いくつかの砂粒が何処からともなく足下にこぼれました。

夕食 21:40
低糖質缶チューハイ
厚揚げと茄子とオクラの炒め煮
枝豆
ゴーヤの鰹節酢醤油和え
搾菜キュウリ
プチトマトの甘酢漬け

つまり昨日の残り物です。