12月2日水曜日 快晴
 
朝の窓から
201202-0701



10時からフランス語発音教室です。
前回の授業のあと放ったらかし状態になっています。
 
洗濯物を干し終えて、9時前、Skypeを開いて前回分を聴きながらやり直しました。
 
ギリギリになるまで復習しない性格なので、次回から授業時間を1時間繰り下げ11時からにしてもらおう。
そうすれば、当日に駆け込みで少しは復習するであろうと思ったのです。

授業が始まって、先生にそう言うと、今年はコロナのせいで誰もがモチベーションが下がっているとおっしゃってくださいました。
が、私の場合はコロナのせいじゃないのです。
 
むしろ歳のせいか何に対しても意欲がなくなっている気がします。
 
そう言うと、では歳をとって良くなったと思えることはありますかとの質問が返ってきました。
ウウム、そう言う発想があったのか?
前向きで良いよね。

私の答1
 
他人の気持ちを思いやれる事が若い頃よりできる様になった。
例えば自宅で家族の死を看取った人の思いを共感できる。
なぜなら、私も母親の死、兄の死を自宅て看取った経験があるから…
それは頭の中で想像するだけでなく、体験して始めて分かる事である。
年寄りは様々な体験を経ることにより、悲しむ人々の思いを汲み取れる様になる。

答2  
 
歳をとると後悔や恥も気にならなくなる。
これも経験の積み重ねだと思いますが、若き日人に知られたら死ぬ〜と思うような恥ずかしさも大した事ではないと思えるようになりました。
人生なんて一瞬の間です。
必死で生きてきただけで良いじゃん、何を恥じる事があろうと思えるのです。

まあ、私の人生まだ終わっちゃいないし、今も恥かきの真っ最中ですが…

宗教観の話にもなりました。
 
無神論者といっても、土壇場になると意識に其々の神が出てくる。
日本人だと、思わず「南無阿弥陀仏」、西洋人だと「オウマイゴッド!」
これは無意識のうちに刻み込まれた自我を超えた観念ではなかろうか?
というのが私の意見でした。
 
先生のご主人は、赤子の時に洗礼を受けたフランス人ですが、長じては宗教を捨て無神論者となりました。
その彼が十字を切ったのを一度だけ先生は見たそうです。
 
それは、アメリカのテロ9・11映像を見た時・・・
 
この世の地獄を見た時、キリスト教で育ってきた人が無意識に縋るのは、やはりキリスト教の神なのかなあと、それを聞いて思ったのでした。
 
と今日は発音より会話にシフトした感の授業でしたが、最後の15分で絞られましたよ。
 

午後になって、買い物に出ようと炬燵から立ち上がると右膝が痛くて歩けません。
二、三歩歩くのも難しいのです。
 
登山用のポールを頼りに買い物だけ何とか済まして帰り、横になって様子を見ました。
 
18時半、起きて歩いてみるとまあ行けそう。
じゃあ一体あれは何だったのだろう?
 
スポジムに行って、用心しながら1200m泳いできました。
 

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朝食 7:00
 
201202-0655

バターロール+水抜きカスピ海ヨーグルト
豆乳カフェ、煎茶
ワンプレート
(レタス、茹でブロッコリー、揚げと小松菜の煮物、焼き豚)

昼食 12:30

201202-1230
 
中華丼
ササミと野菜のオイスター炒め、もやしのとろろ昆布和え
タクアン、煮ゴボウ

夕食 20:40
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雑穀入りご飯
揚げと小松菜の煮物
ササミとナスのオイスター炒め
鯵の干物と大根おろし
ゴボウと蒟蒻の煮物
千枚漬け

昨日の残り物に買い置きの惣菜を足しただけです。

今日のプールは人が少なく、例の3倍速のお兄さんと二人で順調に泳げました。
泳いでも膝の痛みは無くやれやれです。
定番の1100mを泳いだ後、おまけに100mのクロールを入れて 気分良く帰宅しました。